2009年2月7日(土)14時〜札幌市こどもの劇場やまびこ座

yhs 南参 


○ともだちや

とても親しみやすいキャラクターとストレートなストーリー。それだけにいく
つか細かい部分で気になるところがありました。

冒頭、一人でかけっこやかくれんぼなどして遊び始めるキツネ。ここは出てい
るのがキツネ一人なので、キツネの一挙手一投足に観客達は釘付けになります。
だからこそ、キツネの動きがもう少しリアリティを持つようにもっと洗練させ
られたらより良かったように思います。例えば、かけっこをする時の身体の構
え。かくれんぼを一人でした後の寂しそうな佇まい。そこをもっと丁寧に動か
すことで、観客はキツネに感情移入しやすくなり、寂しさを伝えることが出来
たのではないでしょうか。

キャラクターではヘビの存在がお座なりにされていました。みんなから少し嫌
がられている彼を展開に絡めていけたのでは無いでしょうか。キツネと同様、
いや、それ以上にヘビも寂しい気持ちを抱えていると思ったので。自分が巳年
だからかもしれませんが。

また、オオカミのキャラクターがあまりにも可愛らしすぎてオオカミらしさが
あまり伝わってこなかったようにも思います。これはキャストの声質もあると
は思いますが、もう少し荒っぽい感じになっても良かったのではないでしょう
か。このお話以外では悪者にされることの多いオオカミ。その先入観を逆手に
とって、お代を請求してきた後にドスの利いた声で正論をキツネにぶつけてく
ると、テーマの本質がよりはっきりしたように思うのです。
人形劇に限らず、こうした直球の道徳観というものをテーマにした物語を上演
する時に、そのテーマそのものずばりを登場人物が台詞として投げかけること
がままあります。その場合、正論を清廉潔白な人物が言うよりも、一見すると
逆を行きそうな人物(今回の場合はオオカミですが)が言った方が真に迫れる、
現実感を得られるのではないかと思うのです。


一番印象に残ったのはキツネの歌でした。
「ともだち1時間100円。ともだち2時間200円」と、お客さんを捜して
歩くときの歌のメロディーが可愛らしかった。つい口ずさみたくなってしまう。
「今度、自分も『ともだちや』始めようかな」と思ったくらい。
お話のテーマからすれば「ともだちや始めよう」と思っちゃいけないですかね?


 
○真冬に春がやってきた

ストーリー部分で気になったのは、家にいた黒猫の存在です。黒猫がとにかく
おやゆび姫を嫌がるのですが、その動機がどうにもおぼろげな感じがして、も
う少し明確な動機(誰にも分かる理屈じゃなくてもいいのですが)があると、
おやゆび姫の受難の始まりとして存在感を出せますし、最後の最後、おやゆび
姫が家に戻って来た時の逆襲を受けるのも頷けるものになります。

とはいえ、こちらの作品は脚本としての原作があって、それを使用していると
いうことですから、以降は演出的な部分を中心に書きます。

最初に出てくる、家のセットの質感がとても良かったです。おかげで、すんな
り劇世界に入り込むことが出来ました。

人形に関しては一つ一つとても可愛かったのですが、木イチゴの精のデザイン
に関してちょっと違和感がありました。あまりにも人間らしすぎるというか。
もっと衣装が変わっていても良かったのかな、と。


劇全体の雰囲気はとても暖かみもあり、心地よいものではあったのですが、テ
ンポの部分では少し冗長な印象を受けました。

例えば、落ち延びているおやゆび姫と、それを探す娘と犬のドルジュクのすれ
違いのシーンが何度かありますが、そのタイミングが毎回あまり変わらなく、
それが物語のテンポを落としています。そして、展開が読めてしまうのです。
そこをお座なりにすることなく、メリハリをつければ、飽きることなくスリリ
ングに展開する要素も加わることで、次のシーンへの期待がさらに高まるもの
になったのではないでしょうか。

しかし、シーンが変わる際に舞台美術の移動や幕を書けるなどの色々な工夫で
季節や場所の変化をスピーディーに行っていたのは一つの見所でした。欲を言
えば、その変化の仕方もただスピーディーに行うのではなく、却って勿体ぶら
せたり、段取りに規則性をつけるなどすれば、単なる舞台転換の時間にならず
にすむのではないでしょうか。

また、後半、つばめが倒れてしまって野ネズミの家に居候することになる場面
は確かに暗い雰囲気は合っていると思うのですが、ひたすら絶望的な感じで、
もぐらに嫁にもらわれそうになる時も一悶着あるわけでもなく、おやゆび姫の
メンタリティがただただ低空飛行を続けていて、物語への期待感が薄れてしま
いました。この点に関しては、おやゆび姫やつばめの役作り、演技プランなど
で打破できたように思います。


個人的にとても好きだったのは、本来生き物では無いはずの、家にある時計や
湯沸かし、火かき棒、肉ひき器、食器棚たちが歌い踊る(?)シーンです。
これはやはり人形劇ならではのダイナミズムでしたし、この劇世界がスッと観
客側に飛び込んでくるきっかけとしていいポイントだと思います。


さらに、何よりもこの素敵な物語を盛り上げてくれたのは、平佐 修氏による
ギターと、熊谷 勇大氏(イケメン)によるヴァイオリンの生演奏。
観劇前は勝手に一部分に使われるくらいなのかと思いきや、ほぼ全編に渡って
流れるのには驚きでした。そしてそのメロディが、単なる状況説明ではなく、
まるで映画のカメラフォーカスのような役割を果たし、キャラクターの心情を
観客に確実に届けてくれました。
やはり、生の音楽の力は偉大です。絶大です。




※ 南参氏は札幌の劇団yhsを主宰する演出・脚本家です





※2009年2月23日(月)北海道新聞夕刊掲載
【北海道新聞社許諾 D0903−0909−00005432】